TSUKUBA FUTURE #030:患者からの暴力をなくし,職員を守りたい
医学医療系 三木 明子 准教授
2014年の8月、衝撃的なニュースが流れました。札幌の病院の診察室で、医師が患者に包丁で刺されたというのです。まさかそんなことがと思ってしまいますが、三木さんによると、患者の刃物による殺傷事件は稀なことではないそうです。患者に対する医療過誤や虐待は大きなニュースになりがちですが、病院職員に対する暴力事件はあまりニュースになりません。社会の関心が低いだけでなく、職員自身が患者からの暴力を「暴力」と認識していない実情があるからです。この場合の「暴力」には、身体的なものだけでなく、言葉や態度による精神的な暴力も含まれます。かつては患者からの暴力は仕事の一部として認識され、我慢していた事例も、今日では労災申請などのように表面化してきました。鉄道業界全体で暴力防止の声を挙げているように、医療業界でも少しずつ暴力にNOと言える状況に変わってきているようです。
いちばん多いのは、入院患者からの暴力被害で、その対象となりやすいのは看護職だそうです。看護職は女性が多い上に、24時間365日患者と接する時間が長い立場です。しかも、身体的接触を伴うケアや処置が多く、密着度も高いことから、身体的、言語的、性的な暴力の被害を受けやすくなります。かつては、病気だから、イライラしているのだから仕方ないと解釈がされがちでしたが、いかなる理由であっても暴力は正当化できないケースが多いのが実情です。殴られて骨折をしたり、後遺症や精神的トラウマのために看護職を続けられなくなったケースもあります。入院患者の場合、特定の職員に嫌がらせや暴力を繰り返すことでエスカレートしがちです。通院患者の場合、個人的、社会的な不満を病院でぶつけるケースも多いようです。
院内暴力の事例を集めて対策のヒントを
まとめたガイドブック。
三木さん自身も、自らが看護師として働いていた当時、一通りの暴力を受けつつも、自分の対応が悪かったと思っていました。しかし教員になり、患者からの暴力被害に遭ったために実習に参加できないと言う学生や、看護師になる夢をあきらめる学生がいることにショックを受けました。暴力被害を受けた学生は、自分の技術が未熟なためと思い悩み、患者と接することができなくなります。弱い立場の学生は絶対に言わないと思い、看護師や教員のいないところでセクハラや言葉の暴力をする患者がいるのです。調査結果では、実習に出た看護学生の6割が卒業までに何らかの暴力被害を受けていました。上述したように、当初、患者からの暴力の実態はほとんど知られていませんでした。実態調査の協力を病院に依頼しても、そんなものは存在しないの一点張りで調査ができなかったこともあります。三木さんは、少しずつ実態調査を進めると同時に、暴力への対応策として国内で体験できるさまざまな講習を受講しました。そこで得た結論は、単に護身術を学んだだけではとっさの時に役には立たないというものです。暴力回避の技術も大切ですが、まずは、被害を受けるシチュエーションをつくらない、そして暴力を我慢しない、仕方がないとは言わない、言わせない、ことが重要なのです。
制作した各種ポスター。病院の特徴に合わせられるように多様性を工夫した。
三木さんは病院での暴力行為について全国から700余りの被害事例を集めて、その一部を事例集として出版したほか、事例のパターンを分析して、暴力発生の形態に応じたノウハウの蓄積を目指しています。病院の待合室に貼るための各種ポスターも制作し、配布しています。ポスターは、抑止力を発揮するために、わざと派手なデザインにしてあります。暴力は絶対許さない、悪質な事例は警察に通報するという病院の強い意思を示すためです。一般の患者は、ポスターを見て、不快に思うどころか、むしろ安心するはずです。他の患者の暴力や悪質なクレームを見聞きするのはいやなはずですから。現在はそうした視点を組み込んだ病院職員向けの研修を実施しています。そこで力を入れているのはKYT(危険予知トレーニング)です。危険を感じたなら、立ち向かうのではなく、避難経路の確保、緊急コール、そしていち早く逃げることです。診察室などの密室では特に要注意です。暴力を振るいそうな患者との立ち位置と距離が重要だそうです。患者同士の暴力への介入の際にも、ポジショニングに気を配る必要があります。病院としての管理体制も重要です。抑止ポスターを貼るだけでなく、暴力被害に合った職員のケアも欠かせません。暴力被害が多発する場合には警察との密な連携も必要です。警備員とは別に、警察OBを雇用している病院も増えてきました。「病院デカ」という呼び名まで生まれているとか。患者の暴力には、会計に執拗なクレームをつけて診療費等を踏み倒すケースも含まれます。そのようなケースでは、金銭的被害だけでなく、対応する職員のストレス、身体的被害が伴うことも少なくありません。
病院安全教育の一コマ。危険が予想される患者との立ち位置の講習。正面に立ちはだかると突き飛ばされる(左)。
暴力をよけようとして後ろに下がったのでは殴られる(右)。
三木さんは今、病院や団体から講演の依頼が多く、大学での本務との時間的制約などがある中、なるべく積極的に引き受けています。その際は、院内暴力で困っている人や病院を優先しています。呼ばれた先で、被害を受けた多くの職員に出会います。管理者には職員を守るために必要な対策を促すと同時に、一般職員には安全な対応や防止のために必要な視点をもってもらうよう心掛けているといいます。「患者さんだから暴力は仕方ない」をなくし、暴力は我慢するものではなく、対応するものだと説くそうです。医療職はやりがいのある仕事です。その職員が暴力の被害を受けて健康に悪影響を受けたりすることのないように、病院が真の意味で安全な職場になるよう、三木さんは全国を飛び回っています。
文責:広報室 サイエンスコミュニケーター
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